決して忘れてはならないこと
―日本とトルコの歴史的な関係の始まり―

岩﨑 茂

私は2年前に古稀を迎え、我が人生を振り返れば、多くの方々から語りつくせぬ「御恩」を頂き、現在があると日々感じておりますが、その「恩返し」が左程出来ておらず、もしかすれば、その「御恩」を忘れてしまっているかもしれません。日々反省の毎日です。

皆様方も、これまで多くの方々からご支援・ご協力、そして、お世話を頂いたのではないでしょうか?本日は、忘れてはならない「御恩」に関して実例をもってご紹介したいと思います。ややくどくなると思いますが、しばしの間、お付き合いをお願いします。

皆様方は、日本とトルコの関係が急速に進展したのが、19世紀後半の小松宮彰仁親王ご夫妻のイスタンブール訪問から始まったことをご存知でしょうか?当時のオスマン帝国のアブデュルハミト2世は、大日本帝国の皇室のオスマン・トルコ帝国訪問を機に、トルコと日本の更なる親交を深めるため、「エルトゥールル号」(軍艦)を親善使節団として日本に派遣しました。1890年6月に横浜港に入港し、親善使節団は、明治天皇を拝謁され、アブデュルハミト2世皇帝からの親書や勲章等を奉呈され、明治政府から大歓迎を受けました。約3ヶ月の諸行事を終え、1890年9月に帰国の途に着きましたが、9月16日に和歌山県串本町紀伊大島付近を通過している際、折からの台風の強風で座礁してしまいました。エルトゥールル号には600名を越える軍人等が乗船しておりましたが、付近の住民等の徹夜に及ぶ救出活動で助けられた人数は69名のみでした。この後、明治政府は、この生存者69名を、大日本帝国海軍の「金剛」と「比叡」でイスタンブールまで送り届けました。「金剛」と「比叡」の乗組員は現地で大歓迎され、以降、このことがトルコでは現在でも教科書で紹介されており、多くのトルコの人達に語り継がれています。ここまでは、日本人の多くの方々がご存知の事と思いますし、直接的な脈絡はありませんが、「イラン・イラク戦争」の事もご存知の方が多いと思います。

では、皆様方は、この「イラ・イラ戦争」で日本が受けた「御恩」をご存知でしょうか?

「イライラ戦争」とは、1980年から1988年にイランとイラクが戦った戦争です。この戦争の最中、イラクのサダム・フセイン大統領が突如「今から48時間後にイランの上空の飛行機を無差別に攻撃する。」との声明を発表しました。1985年3月17日の事です。当時、イランの首都であるテヘランには戦争中にも拘らず、世界各国からの人達が駐在しておりました。このフセイン大統領の声明後、各国は自国民救出の為、48時間以内にテヘランに派遣できる軍用機・民間機問わず救援機を模索し始め、調整が整った国から逐次派遣されていきました。当時テヘランには215人の日本人がおり、日本政府は先ず自衛隊機の派遣を考えましたが、当時の自衛隊機の航続距離が短く、各国を経由して行くしかなく、48時間以内のテヘラン到着は困難との事で、民間航空会社へ依頼しましたが、航行の安全が確保できないとの事で断念。日本政府として成す術がなく、陸路での退避を余儀なくされる状態でした。一方、当時、テヘランには600名を越えるトルコ人がおりましたが、トルコは、トルコ航空の2機(約500名輸送可能)を派遣することを決めておりました。しかし、トルコ大統領は、日本人約200名がテヘランで救援機なしの状態であることを知り、派遣するトルコ航空機のうちの1機を日本人用として、もう1機を自国民用として運用するように命じたのです。この大統領のご判断で、日本人215名全員が攻撃予告時間ギリギリにテヘランを飛び立つことが出来ました。しかし、航空機の乗れなかった約400名のトルコ人は陸路での退避となってしまいました。当時のご英断をされたのは、ケナン・エヴェレン大統領でした。トルコ政府として、日本人を優先するとの「ご英断」は驚きです。

トルコ政府は、この当時、この経緯の多くを語りませんでしたので、どうしてトルコ政府が自国民よりも日本人の避難を優先したかわかりませんでしたが、後日、駐日トルコ大使のネジアテ・ウトカン大使が、「今でも多くのトルコの人達は、エルトゥールル号の遭難事故の際の日本の献身的な救助を忘れていません。私も小学生のころ教科書で習いました。」と説明をしてくれたのです。漸く、その理由を我々が知るところになったのです。

私は、このことを知り、「恩を忘れないこと」の大切さを再認識させられました。また、今を生きる我々は、「先人の恩恵の下で現在の繁栄・豊かな暮らしがあること」へ感謝を決して忘れてはいけませんし、「先人の思いを語り継ぐこと、史実を正確に後世に伝えること」の重要性を考えさせられました。

トルコの方々の多くは、1890年の「恩」を今も忘れていません。でも、トルコ政府がイラ・イラ戦争で日本人を救ってくれたことを知っている日本人は、かなり少なくなってしまっているかもしれません。皆様、もしお時間があれば、和歌山県串本のトルコ軍艦遭難記念碑やトルコ記念館を訪ねてみませんか?そして、この後の日本とトルコ共和国の関係強化の歴史に触れてみませんか?

また、テヘランから日本人を救出した航空機の機長であった、オルハン・スヨルジュ氏は既にお亡くなりになっていますが、山口県下関市には「オルハン・スヨルジュ記念園」(トルコ・チュ―リップ園の愛称)があります。こちらも是非、訪ねて欲しいと思います。