元安倍晋三首相秘書官 元防衛事務次官 島田 和久様からの寄稿文
トルコからの翼に寄せて
私は、安倍晋三内閣総理大臣の秘書官として、三度、トルコを訪問する機会がありました。中でも忘れがたいのは、イランからの邦人救出に当たってくれたトルコ航空のクルーの皆さんとお会いした時のことです。
2013年10月、もう10年以上前のことになりますが、私にとっては、まるで昨日の出来事のように感じています。足掛け7年に及んだ首相秘書官としての勤務の中でも、鮮烈な印象に残る出来事でした。
残念ながら、機長だったオルハン・スヨルジュ氏は、その年の2月に逝去されていました。しかし、ご遺族やクルーの方々、トルコ航空の元総裁など、イスタンブールのホテルに集まっていただいた皆さんは、文字通り、安倍総理と抱き合い、両国の絆を象徴するような濃密な時間でした。
元総裁のお話によれば、当時のオザル首相から直接電話があり、日本人のために救援機を飛ばすよう指示を受けたそうです。
そして、この危険を伴う任務に、クルーの皆さんは、みな志願して飛んでくれたのだと知りました。それだけではなく、私の目の前にいたクルーの皆さんは、「もし再び同じことがあれば、迷わずまた志願する」とおっしゃるのです。その言葉には、本当に胸が熱くなり、こみ上げる感情を抑えることができませんでした。今、このメッセージを書いていても、当時の思いがよみがえり、胸が熱くなります。
後日、安倍総理は、「日本とトルコは広いアジアを東西から支えるふたつの翼です」、「ふたつの翼をより強く大きく、羽ばたかせていきたい」と語ったのでした。
トルコとの関係については、この話の前段と、後段があります。
まず、前段の話です。
第二次安倍政権が発足したのは、2012年12月26日。そのわずか2か月後の2013年3月6日、安倍総理は、来日したトルコの国防大臣の表敬を受けられたのですが、これは極めて異例なことでした。総理は基本的に他国の閣僚と面会することはありません。
他国の閣僚と面会するのは、同盟国である米国の場合がほとんどなのですが、その米国の国防長官の表敬を受けたのは2015年になってからでした。
2016年以降は、防衛協力の進展により、英、豪、仏などの国防大臣の表敬を受けることもありましたが、それらはいずれも、当該国との「2プラス2協議(外務・防衛担当閣僚会合)」が日本で開催された場合などに限られていました。
一度閣僚の表敬を受けると、他国の申し出を断りにくくなるため、外交当局は慎重でした。しかし、安倍総理にお諮りしたところ、「会う」とのご判断。それは「大事なトルコの代表だ」という強い思いからでした。
面談で、安倍総理は、「トルコは日本にとって重要なパートナーであり、エルトゥールル号事件以来続く友好関係を更に強化したい」と述べられました。
そして、それだけではなく、「イラン・イラク戦争中にテヘランから邦人を救出してくれたパイロット、オルハン・スヨルジュ機長の御逝去」に対して弔意を表明されたのです。安倍総理は、スヨルジュ機長が、面談の10日前、2月24日に、イスタンブールで逝去されたことをご存じだったのです。
その2か月後の2013年5月2日、安倍総理は、エルドアン・トルコ首相(当時)の招待を受けてトルコを公式訪問したのですが、この時は、ゴールデンウイークを使って、3泊4日で3か国(サウジアラビア、アラブ首長国連邦(アブダビ及びドバイ)、トルコ)を訪問するというハードスケジュールでした。
トルコの首都アンカラでは、公式行事が隙間なく組まれ、息つく暇もない状態でしたが、この時の訪問が、わずか半年にも満たない、この年10月の異例中の異例とも言える安倍総理のトルコ再訪問、そして、トルコ航空関係者との面会につながりました。
この5月の訪問時、東京とイスタンブールは、オリンピック招致をめぐって競い合っていました。会談で二人の首脳は、どちらが勝っても、一番にお祝いしようと約束。さらにエルドアン首相は安倍総理に、日本の技術で実現した歴史的なマルマライ(注)の開通式典にぜひ来て欲しい、と要請したのです。
(注)ボスポラス海峡を横断する海底トンネルにより、イスタンブールのヨーロッパ側とアジア側を接続する鉄道路線。このプロジェクトは1860年に初めて提唱が、技術的に実現できず、「トルコ150年の夢」として日本の資金援助と日本の技術協力により現実のものとなった。
そして9月7日、ブエノスアイレスでの国際オリンピック委員会(IOC)総会には、両首脳がそろって出席しましたが、開催地が東京だと決まると、エルドアン首相は真っ先に安倍総理のもとへ歩み寄り、祝福の抱擁をしたのです。安倍総理は心からの感銘を受けたとおっしゃっていました。
これが安倍総理のトルコ再訪問の決断につながります。
「今度は、自分がトルコの皆さんを祝福する番だ」
という決断です。これは異例の中にも異例な、通常ではあり得ない訪問でした。それは、次のようなことなのです。
5月の時のように国会休会中ではなく、臨時国会の真っ最中の訪問。
相互訪問が通常の首脳外交の中で、こちらからの連続訪問。
しかも、半年もたたないうちの再訪問。
多忙な総理の外遊は一度に複数国訪問が通例である中、イスタンブールのみの訪問。
このような特別な訪問に際して、総理が指示したもう一つの重要な目的が、イスタンブールで亡くなったスヨルジュ機長の追悼と関係者への御礼だったのです。
そして後段の話です。
安倍総理がイスタンブールを再訪問した、ちょうどその頃、日本とトルコの間で、「エルトゥールル号」と「イラン邦人救出」の2つを題材にした映画製作の構想が持ち上がっていました。この話を知った両首脳は、この日本・トルコ合作映画について、2015年の公開に向けて協力することで一致したのです。
「日本・トルコ友好125周年」を記念して、映画関係者が完成を目指した2015年は、奇しくも、トルコがG20の主催国でした。同年11月、トルコ南西部のアンタルヤで開催されたG20サミットに先立ち、安倍総理は、再び、イスタンブールを訪問しました。そして、エルトゥールル号と縁のあるユルドゥズ宮殿(注)で、大統領となっていたエルドアン氏と共に、完成した映画、「海難1890」(英語題名「125 YEARS MEMORY」)のプレミア上映式典に出席し、そろって鑑賞したのです。
(注)エルトゥールル号を派遣したトルコ皇帝アブデュルハミト2世の居城だった場所。
上映後、安倍総理は、「125年前に、日本人が海で見せた精一杯の友情に対して、トルコの人々は95年後に空で応えてくれました」、「あの時の感動と感謝の気持ちは今でも忘れません」と語りました。
実は、安倍総理は、「あの時」、11985年にトルコ航空が飛んでくれた「あの時」、外務大臣秘書官として、救出の瞬間を耳にしていたのです。
私自身、これら一連のトルコ訪問を通じて、強く再認識したことがありました。それは、1985年3月、邦人がテヘランに取り残された時の、日本とトルコの判断の決定的な違いです。
日本は、「安全が確保されない」から救援機を出さなかった。
しかし、トルコは、「安全が確保されない」からこそ救援機を出したのです。
今更ながらに、この点に思い至った時、強い違和感のある法律、もっと言えば、許容し難い法律がありました。それは、自分の親元とも言える防衛省所管の自衛隊法です。
日本政府は、民航機が飛ばなかったイラン事案の反省も踏まえ、1994年に自衛隊法を改正し、「外国における災害、騒乱その他の緊急事態に際して生命又は身体の保護を要する邦人」を救出するため、自衛隊による「在外邦人等の輸送」という規定を設けました。
しかし、自民党の宮澤政権下で提出した法案は国会で審議未了のまま廃案となり、非自民連立政権(細川政権)の下で再提出を余儀なくされました。自衛隊を違憲としてきた社会党を含む連立与党内の調整の結果、当初の政府案にない2つの条件が盛り込まれたのです。
1つ目は、在外邦人等の輸送には、原則として政府専用機を使うということ。
2つ目は、在外邦人等の輸送を行うことができるのは、「安全が確保されている」時に限るということです。
政府専用機は民航機と同一の機体です、これに対して、自衛隊の輸送機には、短い滑走路や不整地でも離着陸できる機能があり、タラップなど空港での支援は不要、かつ、ミサイルなどから身を守る装備もあります。
そして本来、自衛隊は国民の命を守るために危険を顧みず任務を遂行する組織なのです。しかし、外国で危機に見舞われている国民よりも、自衛隊員の安全を優先するかのような法律となってしまった。これでは、トルコ航空の皆さんに顔向けできません。国民のために命を懸けると宣誓している自衛隊員にとっても、忸怩たる思いの法律だったのです。
イスタンブールでトルコ航空のクルーの皆さんとお会いしてから7年後、私は、この法律を所管する防衛省の事務次官となりました。
時を同じくして実施された、アフガニスタンの邦人輸送の経験なども踏まえ、省内で輸送対象者を拡大しようという声が上がったのですが、私は、自衛隊法の歴史的汚点とも言える上記2つの条件の修正も合わせて行うよう担当部局に指示しました。当然、省内では異論は出ず、政府内の調整の結果、政府専用機を原則とするという規定は削除され、「安全が確保されている」時という条件は、「予想される危険を避けるための方策を講ずることができる」時、に修正されたのです。
自衛隊機が装備する様々な防護装備を使うなど、自衛隊でなければできない危険回避措置によって危険を克服し、邦人を救出する。任務を実施する。民間機が飛べない危険があるからこそ自衛隊機が飛ぶ。このことが明確になり、ようやく国際常識に合致したものとなったのです。この改正案は、2022年に修正されることなく国会で成立しました。
これで、ようやく、あのクルーの皆さんに顔向けができる。日本人として胸が張れる。そう思った瞬間、「もし再び同じことがあれば、迷わずまた志願する」。イスタンブールで聞いた、あの言葉がよみがえり、胸が熱くなるのを感じたのでした。
島田 和久
(元安倍晋三首相秘書官、元防衛事務次官)


